とけろぐ

2017年4月の日記

4月1日

もう私は今日から高校2年生である。

S塾のテストを受けた。
Wii Uのカラオケをした。
3月23日から28日まで部活の合宿に行ってきた。親しい人の境界性パーソナリティ障害的側面に気づいた。
最近素粒子や超弦理論がおもしろく感じている。
親が私の一人暮らしに賛成してくれた。高校を卒業したら小金井で一人暮らししたい。

過ぎていく時間にただ流されている。
目の前がぼんやりとかすんでいる。生きていることに対するはっきりとした実感を得たい。
去年から私はこのサービス(Writer, the Internet Typewriter)に日記のようなものを書いているらしい。
私はこの1年で何かをつかめただろうか。何かを感じ取れただろうか。
今の私に去年見えていなかったものが見えているだろうか。逆に去年まで見えていたものが見えなくなっているのではあるまいか。
大人になるというのはこんな感覚だったのか。成熟というのはこんなにも気だるいものだったのか。

4月7日

3日に財布を線路に落とすという史上初の大失態をおかした。
5日は腹痛がひどかったが部活をがんばった。
6日、7日と部活がなかったのに結局だらだらとしてしまって何もできなかった。

このままではどの大学にも入れない気がする。今から本気でがんばらなければ間に合わない。とりあえず暇な日は毎日図書館かコミセンに行くことにしよう。

違う。ただ今までの自分をだめだったと否定するのは自分を追い詰めるだけだ。これからがんばればいい。

「肩の力抜いて 過去はどこかにしまっておけ ここからそう遠くないだろう 見たことのない景色」(SAKURAドロップス/宇多田ヒカル)

「かくしごと」(久米田康治)にも書いてあったが現実逃避も必要な時間なのだ。

人生できないことばかりだ。だからこそ、いろいろな可能性がひらけているのだと思う。
私は何を自分に期待しているのだろうか。あるがままの現実にただ当たればいいのだ。「当たる」というよりも「もたれかかる」と言った方が適切かもしれない。そしてその大きくて重くてどうにもしがたい現実を体温で少し溶かしたい。
現実を受け入れるとか現実にぶつかっていくとかそういうことをしたら疲れてしまう。

もう少しで戦争が起きそうだ。起きないかもしれない。いろいろなことがあっても人間はまだ破滅していないから、今回も大丈夫かもしれない。そもそも破滅なんてどこに入り口があるのか分からないものだ。戦争も自然災害と同じだ。誰もどうにもできない。独裁者だって違う環境に生まれていたら、そうならなかっただろう。自分の人生は自分のものではない。もちろん他人のものではない。
人生は考えても仕方がないことだらけだ。未来のことなんて考えたって仕方がない。でも考え続けなくてはいけない。考え続けてしまう。考え続けてどこに行くのだろうか。

4月8日

部活のあと家から遠い図書館に行こうとして道に迷って、帰宅して、オールスター感謝祭見て、Linuxいじってたら9日午前4時である。楽しかった。しかし残念!

4月23日

オールスター感謝祭のぬるぬるを見てからもう2週間とは信じがたい。はぁ
相変わらず冴えないな>私
今日はテレビからはYellow Submarineが流れてきて、夕食を食べたハンバーグ屋ではBad Dayが流れてきた。英語の授業で習った歌はふと聴くと不思議と懐かしさを感じる。

今ふと合宿のときに、中学時代の話で友人T・Rと盛り上がったのを思い出した。あのとき、また中学のメンバーで笑いあえる日が来たということがとても感慨深かった。
今この瞬間も思い出になってしまうのだろうか。懐かしく思う日が来るのだろうか。全てをここにとどめておきたい。しかしそんなことはできない。

19日に友人Mの誕プレにブックカバーを買った。