とけろぐ

2017年9月の日記

9月5日

夏休みは結局1度も日記を書かなかった。

今年の夏休みはいつもにも増して有効活用できなかった。特に後半、死んでいた。このような思考パターンは良くないのかもしれないと最近思うようになった。私は過去の自分が良かったと思えたことがない。自分に満足できたことがない。自分への期待値が高すぎるせいで、いつも辛い。だいたい有効活用とは何なのか。動く生ゴミである私の人生にどんな有効な使い道があるのか?

ところで夏休み後半(8月17日頃?)にふと自分のこれまでを振り返って思うこと(さして長くないのだが)をバーっと裏紙に書いた。それが日記のようなものか。中2頃死にたかったことを思い出した。

もっと自然にゆっくりと空気を吸って生きていきたい。また精神状態が悪くなってきている。小さなことが気になる。嫌なことが頭にこびりつく。もしかしたら双極性障害なのかもしれない。その割には躁がない気がする。どちらにせよ自分のことは気にしても仕方がない。
自分の思考は人様には見せられない、かなり悪い方に異常なものだと思う。人は誰しも闇を抱えているということは知っている。自分は特別異常なわけではないだろう。しかし自分自身が自分の闇に耐えられない。
今の私はただ自分で自分に失望している。自分が怖い。

人にバカにされることが怖い。違う中学から同じ高校に進学した友達に自分が心なしか下に見られていると感じて苦しい。なぜ苦しいのか、なぜ自分で自分を信じてあげられないのか。1番自分を嫌いなのが自分だというところがタチが悪い。プライドが高くて孤独で病的な深いところの自分(この自分が自分を許さない)と、人の前でヘラヘラ笑って楽しんでいる表面的な自分がバリっと音を立てて分かれて分裂してしまいそうだ。私もいつか精神を病んでしまうのだろうか。もう病んでいるのだろうか。

私は生まれつき人に好かれるタチではない、これは分かりきっていることではないか。ヘラヘラして勘違いしている。なぜ?なぜ私はこのような人間なのか。違う生き方はできないのか。こんな自分でこの先数十年も生きていくであろうことに私は本当に耐えられるのか。

自分に深入りすると、良くない。私の内面世界は人が入っていいような朗らかな場所ではない。私は自分から逃げるべきだ。こんなところに長居していたら心にも体にも異常をきたす。

9月15日

自分に高い目標を課すのはやめよう。話を聞こうとか、宿題を完璧にやろうとか、絶対にムリ。できるところからやっていこう。
同級生「S木先生に死ねって言われませんでしたか?」
担任の先生「なんで私が死ななくちゃならないのよ?」
その心がけだ。くよくよしても仕方がない。
財布が見つかって本当に良かった。心配してくれる人がいてうれしかった。心が溶けた気がした。

9月18日

昨日、17歳になった。17日生まれの17歳である。16歳という年齢がわりと気に入っていたので、17歳になっても特にうれしくはない。moto G5+はうれしかった笑
しかし曲がりなりにも17歳まで生きていることはありがたいことだと思う。ありがたいのか?私が「どうしても生きたい」と頼んだわけではないのに?なぜ私が生きさせてもらっていると感謝の念をもたなければならないのか?
といわれると困ってしまう。しかし理屈を超えた部分で生への肯定感のようなものがある。特に根拠はないが、ぼんやりと「生きていてよかった」と思う。生きているからかもしれない。生きるためにその感情が必要なのかもしれない。

今日は水泳の大会だった。外は暑くプールは寒かった。ただ100Buと100Frでベストが出たのでまあまあ良かった。タイムはどうでもいいとは思っているが、それでも好タイムだとうれしい。
水泳部仲間に誕生日プレゼントをもらった。Cには徹夜でカードを作ってもらって感謝の念しかない。自分が生きる意味をたまに、というか頻繁に見失いそうになるが、あのようなプレゼントをもらうとそれがはっきりと感じられる。

一昨日親から虐待に近い仕打ちをされている友人の話を聞いて、それが頭にこびりついて離れない。私に何かできることはあるのだろうか。友人を救ってくれる人はいるのだろうか。親子とはなんだろう。
その友人の強さと、併せもつ弱さを思い出してやるせない気持ちになる。どのような思いで強くなったのだろうか。心配しながらも最悪の未来をぼんやりと想像してしまう。自分の残酷性にぞっとする。

9月19日

バスケの練習をした。盗撮騒ぎがあった(?)
今日は放課後暇な日だ。放課後暇だと、ものすごい憂鬱に襲われる。もうずっとそうだ。自分が生きているということに、ふいに耐えられなくなるのだ。

みんなこのような思いを抱えながら生きているのだろうか。

また死にたくなるけれども、死なない。そのようにして解決できる問題ではないことを私は知っている。
ぼんやりとした眠気がある。何事にも集中できない。脳みそが現実をシャットアウトしているのだ。

未来が見えない。「いつか陽のあたる場所で/すてる神」(乃南アサ)に登場する「笆子」に共感する。

私には開けた未来があるはずなのに?私には助けてくれる人がたくさんいると知っているのに?
閉塞感で息が詰まりそうだ。

9月27日

今日は中央線が止まった。京王井の頭線→京王線→都営新宿線→東京メトロ有楽町線と振替乗車の旅をした。楽しかった。
都営新宿線の新宿駅の改札機はカラフルに光っていてきれいだった。 

バランスを崩しつつある。戻さなければ。