とけろぐ

2016年12月の日記

12月3日

もう明日のことは考えない。未来は見ない。私の未来志向は行き過ぎている。今を楽しめないのに未来を楽しめるわけがない。もっと本を読んで、もっとゲームをして、もっといろいろなものを見たり聞いたりして、もっと友達と話して遊んで今に向き合おう。私は幸せを未来に押し付けている。こんなのは努力でもなんでもない。ただの逃げだ。辛いときに未来のことを考えない。
もう未来には期待しない。未来に期待しても、その期待はことごとく裏切られるのだ。どうせこの先生きていてもいいことなんてない。その絶望感を骨の髄まで染み渡らせたい。
私はとても間抜けで愚かな人間なのだ。努力してやっと辿り着いた場所に、私が求めていた幸せはなかった。オアシスだと思い込んでいた場所はまた違う新たな砂漠だった。それでもまた、もっと歩けば今度こそはオアシスに辿り着けるのではないかと思って期待している。そんなわけがない。多分オアシスはどこにもない。私はオアシスに固執するのではなく砂漠の中でなんとなくうまくやっていくべきなのだ。もう未来に逃げるのはやめよう。

12月13日

私は何かを書くと気持ちが落ち着く気がする。やっと気づいた。
日記のようなものを書くと大抵私はロクなことを書かない。つらいとか悲しいとか後悔とか嫌なことばかり書く。あえてそうしているのではなく、ふっと自覚する感情が負のものばかりなのだ。
そんなに生きるのが苦しいわけではない。むしろ周りの人に恵まれて最近はわりと楽しい。
それでも私は苦しい感情ばかりを自覚して、無い物ねだりをする。
もっと良いものを素直に良いと感じたい。

12月23日

最近の出来事
お金がほしくて応募した川柳コンテストで入賞した。
ダブル「ぜい」 どんどん増える 肉と税
500円しかもらえなかったが、単純に他人に認められたのがうれしい。

あとは美術の課題の起こし絵図をなんとか完成させた。

担任の先生に片付けができず物をよくなくすことを指摘され、「物忘れが激しい」と言ったら親御さんはそれ知ってるの?と相当心配された。さすがにやばいか私と思いつつ他人に心配されることに安らぎを感じる自分もいる。だめだ、これでは先生を怒らせて喜んでいたクソガキと同じ思考回路だ。

人は長所を認められることも短所を認められることも好きなのかもしれない。無関心よりは。

12月27日

冬休みもそろそろ後半にさしかかりつつある。冬休みは短すぎる。なのに宿題は多すぎる。やることも多すぎる。
バイトしたいと思ったがとてもとてもやる時間がないじゃないか。
昨日、最後のSMAPの出演番組であるスマスマが流れた。SMAPの全盛期が私がちょうど生まれた頃なので、スマスマの振り返り特番は私の生きてきた歴史と重なっていておもしろかった。SMAPはただの「テレビに出ている人」ではなく、ここ25年ぐらいの時代を背負っている、やはり特別な存在だ。芸能界は真っ黒、テレビは嘘だらけだと思っている自分でもSMAPから時代の変化を強く感じた。

最近、友人Yの影響で哲学の本(といっても子ども向けの入門書だが)を読んでいる。とりあえず構造主義~ポスト構造主義のあたり。

7、80%ぐらいしか分からないのだがなんとなく分かればいいやという気持ちでダラダラ読んでいる。自分がなんとなく考えていたことが言語化されてすっきりする。友人Yにいわせれば「言語化→分かった気になっているだけ」らしいのでこれは良くないらしいのだが、まぁ知らないぞ。

宇多田ヒカルの「海路」の歌詞が構造主義~ポスト構造主義的をなぞらえているような気がしてくる。

「今日という一日も最初から決まってたことなのか」(構造主義)

「かくれんぼ次は君次第」(ポスト構造主義)

かくれんぼというシステム化された、いわば構造の中でも次、未来は自分の手にゆだねられているということなのかとかってに思っている。

「額縁を選ぶのは他人」という歌詞もポスト構造主義を思わせる。

額縁、すなわち自分ではどうにもできないこと(構造)からは抜け出せない。それでも、自分ではどうにもできない構造の内部→額縁の中の絵は自由なのだ。

ふと思いだしたので脱線するが、宇多田ヒカル「Passion」は長らく歌詞の意味がよく分からなかったのだが、公式ブログでボツ歌詞として紹介されている
「密やかな情熱がいつも時代を動かす」
や英語版Sanctuaryの歌詞
「My fears my lies melt away」(このmeltという部分が特に!)
という部分を知ってからなんとなく分かるようになった。分かるといっても言語化することはできないが。

最近の出来事というとそんな感じだろうか。
ここ1年ぐらい両親、祖父母の老化を身にしみて感じてつらい。
まぁそんなの気にしないぞーーー!!いくら家族とはいっても他人の人生だしね。 でも親が悔しさゆえに自分の子供よりも優秀な子供の悪口を言うことがけっこう精神的にきてるんだぞーー!!

感情と理性と行動を分離させてそこそこがんばろう。