とけろぐ

2017年3月の日記

3月2日

もう3月も2日ですよ。明日から学年末テストですよ。それなのにぜんっぜん勉強していない。本当に大丈夫なのか。大丈夫ではない。
私は最近過去に足を絡めとられている。このままでは過去に沈む。
過去を思い出さないようにしよう。忘れてはいけない過去だとしても思い出す必要はないじゃないか。忘れないことと思い出すことは違う。
「This is not time for reminiscing.」(Animato/Utada) とはまさにその通りだ。思い出している時間ではない。今は。
だから今は未来に集中しよう。とりあえず1時間後と明日をしっかりと見よう。
病む暇も苦しむ暇もない。意識しなくても痛みはいつも自分の近くにあってふとしたときに入り込んでくるものなので、自分から痛みを体に刻みつけても仕方がない。

今日はあと4時間ぐらいは勉強できる。やる気がでなくてもやるしかない。

3月15日

うわああ3月も中旬おそろしやー
今日はやりたいことがたくさんあったのにうつ気分がひどくてろくに起き上がることもできず何もできなかった。ひたすらマツコのバラエティや「家ついていっていいですか」や「お母さん娘をやめていいですか」を見て、泣いた。何もないのに涙が溢れてくる。特に不良系の女子高校生がテレビに出てくるのを見ると、家に引き込もって仲間もあまりいなくて私は人生の負け組なんだなぁとただただ辛い。

私は結局自分の意志なんて何もないのかもしれない。というより自分なんてどこにもいない。みんなそうなのか。自分の人生は自分のものではないと痛感する。

思考がまとまらない。眠い。意識全体がぼんやりと低い感じがする。視界にもやがかかっている。あれほど部活がつらい学校が面倒だと言っていたのに明日明後日に友達に会えるのが楽しみだ。

どちらの自分が本当なのか分からない。元気な自分と落ち込んでいる自分、どちらがどちらの揺り戻しなのか分からない。多分どちらも本当だ。
私はこんなに恵まれているのになぜ幸せを感じられない?こんな恵まれた生活でも辛いなら私は一生辛いのではないか。
2ちゃんまとめで「うつだったときの自分の日記には生きたい生きたいってひたすら書いてあった。希死念慮が強かったのだろう」という書き込みを見つけた。希死念慮とは死ななければならないと思うことだそうだ。まさに私と同じ状態だ。
苦しいけど動けばこの苦しさが緩和されるのだろうか。なら動くしかない。やっぱり他人が自分を変えてくれることを望むなんてまちがっている。自分は自分でしか変えられない。

昨日は近所で小学校の同級生の秋〇ちゃんに会った。女子力が高くてJKっぱくなってておどろいた。