とけろぐ

2017年6月の日記

6月4日

とうとう5月は1度も日記を書かなかった。そのせいか精神があまり安定しなかったように思う。

昨日は水泳部の大会だった。代替わりで主将になった。どうしよう…
大会は良い結果だった。コーチのYさんは良いことがあったときにいなくなってしまう。みんなと一緒に喜ばない。なぜだろうか…。
部活へのモチベーションの差のためか少し同期(A・C)との距離が開いている。やる気を見せておかないと。

今日は模試だった。同じ中学受験塾に通っていた西Hさんが私のことを忘れていてショック。
私は案外記憶力がいいのだろうか。化け物のような記憶力の妹と比べて、記憶力が悪いとずっと思っていたが。
本当は同じ幼稚園のN田か同じ小学校のK田と会いたかったが、会えなかった…。

6月14日

最近精神的に好調な気がする。今年の年始ぐらいまで私の頭を埋め尽くしていた「こうして死んでいくのだろうか」という思いが、隠れている。まぁ隠れているだけだ。先週の今日、個人面談のときも担任の先生の前で元気を前借りしてしまい、家に帰りながら、そして家に帰った後も涙が止まらず、大変だった。

しかし自分の精神的な弱さや不安感と折り合いをつけていくことができるようになりつつあるとは思う。自分の理想の将来を夢想することもだいぶ減った。過去のフラッシュバックはなかなか治らない。が、仕方がない。そのうち治ると信じよう。

将来のことで不安になることは多いが、そのときになってみないと分からない。堂々と飄々としていようと思う。担任の先生に「あんたならなんでもできそう」「そのままのあなたでいい」と言われた。それを信じようと思う。
「どうでもいいって顔しながらずっとずっと祈っていた」(Keep Tryin'/宇多田ヒカル)
というのを理想としたい。

テスト前だが、やる気がでない。またそのうちやる気が出るだろう。それからで間に合う。

親と話すといつも余計なことを言ってしまったのではないかという不安に襲われる。しかしそれも仕方がない。

私と友人SSの性指向/嗜好がとても似ていることに気づいて、話が盛り上がった。

最近梶井基次郎にはまっている。小説を書きたいという気持ちをうっすらともちつつある。文章を書くのは単純に好きだ。

堂々としようと思う。何もおどおどすることはない。内心おどおどしていても何も気にしていない顔をするのだ。勉強がんばろう。これからでも全然間に合う。間に合わなくてもどうにでもなる。全てどうでもいいことだ。

6月23日

あるはてなブログを見てウッという気持ちになった。心が澱む。自分と同じように、なまじ子どもの頃頭がいいと持ち上げられた(ウソ)ために自分に求める水準と自意識ばかりが高止まりしている(と思われる)人を見るのがしんどい。同族嫌悪なのだろうか。
精神を安定させるためにやっぱりネットは見ない方が良い。と思うのだが、これは逃げなのか??逃げてはいけないものから逃げているのか??分からない。

忙しければ忙しいほど精神的に安定する。暇になって、ネットを見出すとどうにもダメ。暇な時間をすべて勉強などの有効なことに使えればいいのだが、それができない。
はぁ。
がんばろうyukicoder
もうそろそろ高校生活折り返し地点だ。短かったな。これからもっと短いのだろうな…
はぁ。
金曜は部活も塾もなくて、最も幸せかつ楽な日でありながら最も苦しい日でもある。純粋な幸せなんてどこにもないんだろうな。我慢すれば、もっときれいに書くと、努力すれば、幸せになれると思うのは大間違いだ。どこにも幸せはない、これをやるともっと不幸になると確信していても、やろうと思えることをするべきなのだろう。

このようなことを書くと、昔読んだ「がんばれば、しあわせになれるよ」という本が脳裏に浮かんで、亡くなった〇〇くんになんともいえない申し訳なさを感じる。このような推測は大嫌いだし、とんだ思い上がりなのだろうが敢えて書く。〇〇くんががんばったのに病気は治らなかった。それなのに、彼は大好きなお母さんに「がんばれば、しあわせになれるよ」と最後に言ったのだ。9歳の子どもが、である。彼はそれを言ったときどんな気持ちだったのだろうか。とても想像することができない。