カテゴリ: 日記
私も気づけば25歳となり、大人になってきた。
子供の頃、それこそ10年前ぐらいは大人になるのがとても怖かったが、大人になってしまえば痛くも痒くもない。
昔の日記などを読むと今も昔も自分の人間としての根っこはさほど変わっていないことを実感するが、これまでの道程で感受性はポロポロとどこかにこぼしてきたなと思う。10歳の感受性を100とすると、今残っている感受性は30ぐらい。
昔は夕日が落ちていくだけで、いつか来るこの世の終わりの気配を感じて、ポロポロ泣きながら学校から帰ったものだが、気がつけばそのようなこともなくなった。早く夕飯食べたいなと思いながらスタスタ帰っている。
昔は自分が特別な人間だと思っていて、誰かに自分の感じていることを伝えたかった。しかし、年をとるごとに自分はこの世に数多ある主観に過ぎず、そしてそれぞれの主観は神経系のはたらきにより皆概ね同じような感じ方をしていると思うようになった。
最近、誰かに自分の感じ方を伝えたいともがくこと自体、どこかうすら寒く感じてしまう。まぁこの日記自体がうすら寒いのだが、それは気にしない。こういった自己の論理の矛盾も昔はすごく気にしていたのだが、近年あまり気にならなくなった。どうせ誰も読んでいないし、気にしていないし。
10代の若者の創作物に対して「若くして豊かな感性をもっていてすばらしい」というような賛辞が贈られることがあるが、若いからこそ感性が豊かで人の心を打つ創作ができるのだ。逆に、年をとってからも素晴らしい創作ができる人の方が特異的だと思う。
私もこれからさらに年を重ねて、どこかに感受性をポロポロとこぼしていくのだと思う。寂しい反面、以前自分が囚われていた自殺や精神疾患発症への切迫感のようなものがなくなり、生きやすくなったとも感じている。これが人生だなと思う。