とけろぐ

2016年4月の日記

📁 カテゴリ: 日記

4月4日

"SecNotes"というアプリのロック解除方法を忘れるという大失態によって日記が消えた。まぁ大したことが書いてあるわけではない。しかしメールアドレスなども書いてあったのでかなりダメージが大きい。今朝からのうつモードに拍車をかけた。

あんなにかわいい従姉の子供たちがあと10年で私のようにどろーっとしてしまうと思うと悲しい。ただ幼い子どもたちが疲れた大人になることを想像すると言いようのない安心感もある。いつか終わりを迎える生物の宿命を感じるからかもしれない。

お年寄りは何をモチベーションに生きていくのだろうかとよく思う。未来のない日々はとても苦しそうだから私は年をとることが成長から老化になる前に死にたい。でももしかしたら新しい時代に期待しながら死までの日々を送るのはそこまで苦しいことではないのかもしれない。年をとってみないと分からないけれど。

宇多田ヒカルの新曲を聴けて、TitanfallでもMVP何回もとれてしかも100超えも2回ぐらいしたのになぜ私はこんなに落ち込んでいるのか。 とりあえずこれを書き終わったらスマホ断ちをしよう。情報は私を不安定にする。

焦ってはいけない。落ち着け自分。
凹む気持ちが自分を成長させるとはどうしても思えない。でも凹んでるのだから仕方がない。そして凹んで初めて分かることもある。

4月7日

ここのところ本当にゆっくりしたペースで生活をしている。私は心だけせっかちなのでこの遅さが苦痛で苦痛で仕方がない。時間が経つのがおそろしい。何もしていない自分もこんな地味な生活も嫌いだ。でも動くほどの強い意志もない。というより自分への嫌悪感で遅い生活から抜け出すほどのエネルギーも削がれている。悪循環にはまっている。

やはりネットがいけない。ネットを見ると人と比較してしまってどうしても凹む。私にネットを見ても平常心を保っていられるほどの強いメンタルはない。

未来に希望がどうしてももてない。高学歴になってお金持ちになってもお金を使いたい先がない。子どもに大金を使ってもただただ重圧になるだけで子どもにとっても自分にとっても良い未来が見えない。物を買うにしても人の物欲に終わりはない。1つ手にいれたらもっと欲しくなる。本質的にはお金持ちでも貧乏でも何も変わらない。

多分未来に希望なんてない。満足することはない。でも満足しないから自由なのだ。絶望しながらみんな生きている。私だけではない。落ち着いて前を向け!

4月9日

入学式疲れた。友達を作りたい…しかし面倒。

話は変わるが"意識高い系"の知人が本当に恐ろしい。すべて自分が目立つために動くのだ。私もかなりの目立ちたがり屋だが、遥かに上だ。そこまでして目立ちたいか。そこまで他人の評価が気になるのか。ただただ怖い…

確実にネットは極端に肥大化した自意識をもつ人を増やした。その罪は重い。

できるだけいろんな人に声をかけるようにして友達をたくさん作ろう。担任もいい人そうだし無理せずがんばろう。変な人は気にするな。

4月10日

初めて歯が抜ける夢を見た。凶夢だと知って怖すぎる。環境が変わるからこのような夢を見たのかもしれない。

4月12日

ドコモの件でごたごたしたり塾が立て込んだりしていてどろどろと病む暇もなく時間が過ぎていく。それが良いことなのかどうかは分からないが、ふとした瞬間に気が遠くなるほどの絶望感が襲ってくるからあまり良いことではないのだろう。しかし時間は待ってくれない。なんとかしがみつくしかない。

今日の気づきとしては自分が視覚に影響されやすい人間であることを再認識した。お茶の水に行ったら突然2年前に見えていた景色がふわーっと蘇り、とても感傷的な気持ちになったからだ。自分は思い出をイメージで脳に入れているようだ。気づかなかった。

4月14日

疲れた。しかし今ががんばりどころ。というかこれぐらい疲れているときの方が精神状態が良い。ただ精神状態が悪くてもそれを自覚する暇がないのかもしれない。それでもいい。無理は若いうちにしないと!

熊本で大きな地震が起きた。中央構造線と阿蘇山が心配だ。大噴火か大地震が起きる可能性が低いとはいえない状況だ。大変不謹慎だが大噴火や大地震にどこか興奮してしまう自分がいる。非日常に逃げている。

逃げない人間にはなれない。それでもできる限り踏ん張ろう。それ以外に今できることはない。部活とか大学受験とか気にするな。そのうち片付くのだから。

4月16日

ようやく長い1週間が終わった。ふー!!

疲れていると、他人に分かってもらいたい、承認してもらいたいという気持ちが出てくる。そんなことは諦めようともう何度も思ったがなかなか気持ちが止まらない。仕方がない。

やりたいことがたくさんあるが時間がない。そして私は体力も精神力もなすぎる。困った。

が、適当に自分の限界と折り合いをつけつつがんばってみるしかない。

4月19日

だいぶ高校に慣れてきた。そうすると毎日同じような日々になる。退屈する。

疲れだけでなく退屈とも戦わないといけない。

こうやって同じような日々を過ごして死んでいくのかと思うと目の前が真っ暗になる。

けれど同じような日々の積み重ねは多分ものすごく重いことなのだ。その重みがないと見えてこないことや感じられないことが多分ある。だから修行だと思ってがんばろう。
私がやたらと好きなPassionという歌の歌詞もそのようなテーマなのだと思っている。

そういえば熊本の48時間の壁ってもう完全に過ぎているんだな。

4月20日

水泳部に入ることにした。ハンドボールは楽しかったけれど正直Sと2人じゃ話にならない。

水泳には正直言って悪い思い出ばかりあるからここらで良い思い出を作りたい。

柔道部には入らんが顧問の先生の遅くても花は咲くみたいなクサい話には正直ぐっときた。確かに私は結果を急ぎすぎているのかもしれない。柔道部には入らないけど。

宇多田ヒカルの新曲の「真夏の通り雨」に心が動かされた。暗くずっしり来るが、本当にいい歌だ。大きなものを失ったけれど今は幸せだというその二面性がとてもいい。最初の方の土曜ワイド劇場で流れていそうな悲しいけれどふわーっと明るい感じも良い。「さっきまであなたがいた未来探して明日へ」というところが過去ではなく未来であるところも良い。どんなものを失っても結局のところ未来にいかなければならないということか。

4月21日

また不安が押し寄せて来たので早めに書いて解消することにする。

世の中が自分とは全く離れて動いているような気がする。

自分が見えない。世の中も見えない。まるで幻想を見ているようだ。幻想の中で強い怒りのようなものがふつふつと沸き上がってくる。

人と比較してしまう人間の性に対する怒り、人に対して優位に立って欲求を満たそうとする人間への怒り、様々な負の感情を増幅させたインターネットへの怒り、人を批判しながら碌な人間になれていない自分への怒り。

全てがよく分からない。何かが見えていない。何も見えていないのかもしれない。何かから取り残されている気がする。

不安だし腹立たしいし分かってもらいたいけれど分かってもらえないから残念だし、それでいて妙に楽しいときもある。どのように考えていても私はかってに未来に運ばれていくのだ。見えていないものは多分これからもずっと見えないし私は変われない。仕方がない。欠けた視界を見続けるしかない。

4月24日

上の日記を書いた後のこの2、3日かなり調子が良かったのに昨日の夜からまた精神状態が底だ。DHA飲もう。FPSには調子の良し悪しが本当にはっきりと表れる。

「こうやって死んでいくのだろうか」という絶望感が脳内をぐるぐる回る。こうやって死んでいけたらそこそこ良い人生なのではないだろうか。なんでこんなに絶望的な気持ちにならなければいけないのか分からない。分からないけれどただただ絶望的な気持ちがラップのように私をくるんでいて体も心も重い。

負けず嫌いな大人になりたくない。母が極度の負けず嫌いだからだ。そしておそらく祖母も極度の負けず嫌いだ。

私も負けず嫌いだ。他人の幸せを素直に喜べていない自分がどこかにいる。どんなになりたくなくても、私も将来負けず嫌いな大人になるだろう。

変わりたい。しかし変われない。私の人生は予めもうプログラムされていたのだろうか。私の性格もプログラムされているのだろうか。世界の固さをふと感じる。

死んでしまいたいとは全く思わない。生きていきたいと思うがうまくいかない。自分だけ生きることに適性がないのだろうか。いや生きることというのがそもそも不自然なことなのだ。だからといってそう簡単にはやめられない。

絶望感に足をとられたとき私はどうすればいいのだろうか。誰も教えてくれなかった。誰も知らないのだろうか。

4月28日

昨日思ったのは、他人の進む道を否定するのはいけないことだということ。私は他人の人生に口出しできるほどすばらしい人生送ってない。他人の人生に口出しできる人なんていない。全く同じ環境/体/脳で生まれ育つ人間なんて絶対いないから。その人でなければその人のことは決してわからない。

あとその日にやりたいことを予め決めておくといいかもしれない。そうしないと私の場合気分に流されて結局後で後悔する。最近プログラミングの優先順位が下がってしまって全然できていない。Titanfallやりたいけどできないな、、、明日かな。つーか生理来ない。

4月28日夜

何かが見えない。根本的な感情が何かすっぽりと抜け落ちている気がする。友人に無表情だの目が死んでるだのいわれるがある意味で真実なのだ。私には何かがなくてどこかが死んでいるのだ。でも多分みんな何かを持たないまま生きているのだ。仕方のないことだ。それでも自覚なしに人を傷つけるのは怖い。台湾に行ったときに父が元同僚に無神経におばさんになったなぁ!などと言うのが嫌で嫌で仕方なかった。ただおそらく私にも同じ部分がある。

まぁそれはいい。とりあえず人を僻まない人間になりたい。