日本人なら誰でも知っているだろう「浦島太郎」。小さな子どもからお年寄りまでに愛されているにも関わらず、かなり謎の多いストーリーだ。
「浦島太郎は恩を仇で返されててかわいそう。絶対に亀なんて助けてやらない。」
と思った人はわたしだけではないはずだ。
というわけで今回はそんな謎な「浦島太郎」の意味についてだ。
玉手箱の中に入っているのは浦島太郎が竜宮城で過ごした(竜宮城では3日間な訳だが)300年という歳月だとわたしは思う。 浦島太郎の分の300年は玉手箱の中に封印されていたのだ。
だから玉手箱を開けたことによって封印が解けて一気に浦島太郎は300年分老いたのだ。
よく楽しい時や後に嫌なことが待ち受けている時に「時間を止めたい」と願ったり、
忘れ物や落とし物をした時に「時間を巻き戻したい」と願ったり、
苦しい状況の時に「時間を早送りしたい」と願ったりする。
時間を制御したいという願望だ。
玉手箱の中に時間を封じ込めるというのには時間を制御することへの憧れが表れていると思う。
せっかく時間を制御したいという願いが叶ったのに浦島太郎は玉手箱を開けて300年の封印を解いてしまう。
そして、浦島太郎はそのことを後悔しない。
そこには時間を制御することに憧れつつも、やはり時間は制御できず絶えず自らの意思に関係なく移ろい続けるもので
そのような移ろいゆく時間にこそ価値があるのだという無常観が影響していると思う。
そして、その無常観という思想を筆者は伝えたかったのではないか。
でもやっぱり浦島太郎ってかわいそう(笑)
これを書いたのは13歳のときだったが、その1年後の14歳のときに中学校の同級生に言われた。
「浦島太郎って羨ましいよね。だって生きることなんてすべて苦痛じゃん。玉手箱開けて気づいたら人生ほとんど終わってるって最高の人生だと思うけどな。」
私はそこまで達観できなかったなぁ。今もできていない。