私は幼い頃から自分に才能があることを期待していた。
2歳で水泳を始め、幼稚園時代は水泳に多くの時間を割いた。
自分に水泳の才能があると思い込んでいたから。
全日本、ひいては世界で戦いたいと思っていたし、ここで努力すればそうなれると思っていた。
幼い私は盲目的だったうえ、選手コースに選ばれるなど着実に伸びていたので期待した。(それは単なる伸び期だっただけだと気づくのは後のことだ。)
しかし小学校に入ったあたりで伸び悩んだ。
まず、ライバルであり親友であった大切な友達がその頃グッと伸びて気づけば追いつけないほどの差ができていた。(その友達は親も水泳の選手で元から才能があったのだろう。今は全国レベルの選手である。)
そしてもう一人のライバルであり親友であった大切な友達は小学校入学後すぐ水泳の選手コースをやめ、緩いコースに移った。
私はその2人の中間にいた。
私は負けず嫌いだった。だから諦めるのは嫌だった。しかし自分にが全国レベルになれる可能性は希薄であることにも薄々気づいていた。
その矢先、私はもうひとつ上の選手コースに入れないということが分かった。
普通ならそこで諦めて緩いコースに移るか水泳をやめるかしたとおもう。
しかし私の冷静さや現実的な考えが負けず嫌いという性格に負けた。
(当時、私は驚くほど負けず嫌いだったのだ。)
もしかしたら現実を見たくなかったのかもしれない。ずっとすごい選手になれると信じてやってきたがそれは幻想だったという現実。
私は一旦緩いコースに移るものの選手コースに途中から入ろうと努力した。
努力の甲斐あってかギリギリでこそあったものの選手コースに滑り込んだ。
最初は年上のお姉さんお兄さんたちにかわいがられて(といっても今の私よりはずっと下だ。)楽しく、でも必死に水泳をやっていた。
選手コースに入れて良かったと思った。
そして皮肉?なことにその頃私は再び伸び期を迎えた。
やはり水泳を極めれば頂上にたてるかもしれないと思った。
幼い私は驚くほど浅はかで頭が空っぽだった。
しかしそれ以来どんなに必死で頑張っても伸びることはもう2度となかった。
どんどん年下が増えていった。気づけば5歳下の子にも抜かされた。
もうその頃には小学校中学年になっていたので気づくことができた。
「私は水泳で頂上を目指すことはできないのだ。」
何年も必死でやってきた水泳を諦めるのはやはりかなり辛いことだった。
しかし確実に私は水泳をサボりがちになり、水泳教室でも年下の子たちの「大きいのにおそーい」などという悪気のない言葉に笑っていられなくなった。
水泳が途端に楽しくなくなった。
そこで私は思った。
「私は水泳が本当は好きじゃないんだ。今まで周りの目とか意地とかで続けていただけなんだ。」
私は小学4年生の12月に水泳をやめた。
挫折感を抱いたが少し爽快感も感じてやめたことにたいして後悔は抱かなかった。
今でも学校の水泳の授業はかなり憂鬱だ。
しかし、その憂鬱さは泳ぐのが嫌いだからではない。私は子供の頃ほんの少しだけ水泳の素質があって、そのうえ今まで他の人よりも水泳に長い時間を割いてきたからこそ、勝てないのが嫌なのだ。趣味と割りきって楽しむことはできない。
ようやくここから主題に入る(前置き長っ!)
私が才能について思うことだ。
並の努力で自分を幸せにできるほどの才能をもつ人はごくごく稀だと私は思う。1%もいないだろう。
勿論、「○○に才能がある」といわれる人はもっといる。
しかし、才能がある人でも、それはほとんどの場合並の努力で自分を幸せにすることはできないほど力が弱い「プチ才能」だ。
私の水泳のように、下手に「プチ才能」があると
よほど運がよかったり意気込みが強かったり常軌を逸した努力をしたりした場合以外はその分野を極めても不幸になってしまう。
私は「プチ才能」というのは厄介な存在であると思う。
自分に期待してしまうからだ。
自分がもつ才能はちっぽけなものだということを分からずに。
しかし、全く才能がないものを極めるというのもかなり難しい話だ。
いくらやっていて楽しくても、周りの人よりも著しく素質がなかったら楽しいことも楽しいと感じられなくなってしまうと思うからだ。
人間は本能的に他人よりも優位に立つのが好きだ。だから下手なものをやり続けるのはなかなか大変だ。
私は並の努力で幸せになれるほどのすごい才能はどの分野にも持ち合わせていないと思う。
もしかしたら「プチ才能」なら水泳以外でもどこかにあるのかもしれない。
でも私はそれを追わない。
私は毎日を堅実に生きて、楽しいことを楽しいと感じられる「ミニミニ才能」を見つけてそれを極めていきたい。
これを書いたのは中学生のときだったが、その後やっぱり水泳がしたくなり、高校では水泳部に入った。
そこで自分には水泳の「プチ才能」すらなかったということを悟った。
私が幼少期に水泳がそこそこ得意だったのは、ベビースイミング・幼児スイミングに週何回も通わせてくれた親の投資ゆえだったのだ。
私のとっての「プチ才能」は勉強だった。
これを書いたときの自分も薄々気づいていたのではないか。
この日記が予言したかのように、勉強という「プチ才能」も並みの努力で自分を幸せにすることはできないほど弱いものだった。それに「プチ才能」があったゆえに自分に期待し、理想と現実の間の溝に嵌まって学歴コンプレックスを抱くこととなった。
楽しいことを楽しいと感じられる「ミニミニ才能」は大人になった今でもまだ見つけられていない。