とけろぐ

本当に死にたいと願う人のことは誰もとめられない

😇) はい!中二キターーww

😈) うるさいわ!中二だってこと知ってて書いてんだ!許せ。てか中学生が中二病になって何が悪いーー( ・ε・)いい年した大人が中二ぶっこいてるよりはずっといいだろーがーー(`Δ´)

ということで中二病的な日記です。(いつもだけど。)見苦しくてすみません。

「死にたい。」

というのは誰しも1度は抱く感情です。死にたいと思うことは特に珍しいことでも何でもないし逆にとても自然な感情です。

しかし、大抵のそれは一過性です。

いくらその時は死にたくて死にたくてたまらなくても時が解決してくれます。

しかし、そうはいかない死にたさもあります。時が解決してくれない自殺願望。

自殺者の中ではその割合は少ないらしいです。多くが衝動的ということです。それは憂うべきことです。その人がもし生きていたらその先で「死ぬのやっぱりやめよう」と思ったかもしれない、いや絶対思ったはずなのに。

しかし、わたしは本当に死にたくて死にたくてどうしようもなくて自殺した人のことを責めることや自殺を否定することなんて絶対できません。

「本当に死にたいんだったら死ねばいいじゃん」みたいな。

人の考えというのは絶対に知ることはできません。周りのひとにとっては大したことがないように思えることであってもその人にとっては無限の可能性をもっている未来を擲ってもいいぐらい辛いことだったのかもしれない。

いくら、その人の人生に関わっている人がたくさんいて、その人が死んだら多くの人が悲しむとしてもその人以外その人生を生きられる人はいませんし。

だからただ安易に死ぬなというのではなく、その人の辛さを少しでも緩和するよう努めるのが本当の思いやりなのだと思います。

でも最後は「本当に死にたいんだったら死ねばいいじゃん」それしかその人が辛さから解放される方法がなかったのであればそれもそれで思いやりです。

「死ぬな」とか「生きていれば希望が!」みたいな現実逃避のポジティブ思考に疑問を抱きます。きっと生きていても希望が訪れないことや死ぬことでしか解決できない問題もあると思います。