おそらく私は神経発達症である。
注意力の欠如・集中の持続が困難、衝動性というADHD傾向が強いが、感覚過敏・鈍麻、言外の意味が汲み取れない、人の顔が認識できない等のASD傾向もある。
今一番困っているのは先述のADHD傾向による先延ばし癖、計画遂行能力の欠如、座って行う作業が出来ないことだ。
例:
幼少期は注意力の欠如、衝動性、多動性よりもコミュニケーションの問題が大きかったように思う。
幼稚園~小学校低学年まで重度の人見知りであり、加えてなかなか友達と打ち解けることができなかった。
小学校中学年~中学生にかけては「この人が嫌いだ」と思うと、徹底的に嫌ってしまう傾向があった。
あまり集団に馴染めず、人の気持ちが分からなくて煙たがられることが多かった。
10代になるとコミュニケーションの問題は徐々に改善していった。特定の人を徹底的に嫌うことも少なくなり、ほとんどの人と平和にコミュニケーションがとれるようになっていった。
コミュニケーションと並んで私の幼少期に問題になったのは不器用さ(発達性協調運動障害というのかもしれないが…)である。小学校では運動、楽器演奏、歌唱、書字、裁縫にいつも悩まされた。
足がクラスで2番目に遅い、鬼ごっこで誰もタッチできない、二重とびができない、鍵盤ハーモニカ・リコーダーが吹けない、蝶結びが11歳までできない、スキップができない・・・などなど
こちらも親のスパルタ訓練、日々の練習、成長により少しずつ改善していった。今も不器用ではあるが、日常生活で運動神経や器用さを求められる場面が少ないこともあり、なんとかなっている。
こうしてみると幼少期はASD傾向が強く、ADHD傾向はあまり表面化していなかった。否、正確にいうと勉強ができたのでADHD傾向は見逃されていた。
宿題や筆記用具など毎日何かしら忘れる、鉛筆は1本も削っていない、学用品のほとんどが落書きだらけ、お道具箱や部屋の中はグチャグチャという有様であったが、特に問題を指摘されることはなかった。
ただ、内心では「勉強のできる優等生の自分」と「だらしない自分」のギャップに悩んでいたのか、9歳ぐらいの頃に情緒学級に入る夢を見たことを覚えている。
私は中学受験をしたので、入学した中学校の中では成績優秀な人間という扱いは受けなかった。そうして成績優秀の下駄がなくなり、また、中学校では宿題や必要な勉強量がぐっと増えたことで注意力の欠如、衝動性などのADHD傾向が顕在化し始めた。
それに幼児や小学生というのは大抵落ち着きがないものだが、多くの人は中学生ぐらいから落ち着きを得て静かに座っていることができるようになる。そんな中で私は中学生になっても落ち着きのない小学生のままであった。
さらに、中学生になると、気分の波に悩まされるようになった。気持ちの浮き沈みが大きいという症状について調べ始め、初めは双極性障害などの気分障害について情報を収集していた。やがて神経発達症について知り、「自分はADHDなのではないか」と思い始めて今に至る。
神経発達症の診断は保険やローンにおいて不利になる。
就労でもオープンにするか、クローズにするかという問題がついてまわる。
第一に、今は日本中の精神科初診外来がいっぱいである。成人の神経発達症診療の十分な経験がある医師の外来を予約することは非常に難しい。
さらに、神経発達症の診断には幼少期の証言が必要であり、親の協力が求められることが多いが、私の親はまだまだ精神科・心療内科に偏見があり協力を得ることが難しい。
もし、ADHDと診断された場合は薬物療法を受けることができ、これは大きなメリットである。薬物療法によって入浴・歯磨き・食事の先延ばしがなくなり、問題集を解けるようになれば人生はもっと楽なのではないかと思うことはある。
ただ、ADHDの薬物療法には様々な副作用もあり、さらに薬物療法によって自分の多動性もとい行動力が抑制されることは良いことばかりではないのではないかと感じている。
また、心理検査など診断に至るプロセスを通じて自分についての理解を深め、特性に合った生活の工夫に繋げられることも診断を受けるメリットの1つだと思う。ただ、これまでの内容から分かる通り私はかなり自分について分析していて、ADHDなど神経発達症の生活の工夫についても調べ尽くしたという感がある。今から診断を受けたところで新たな情報が得られるのか疑問に思っている。また、知能検査の結果によって私自身が自分の限界を決めてしまうことも恐れている。
また、現状では社会生活になんとか適応できていて、大きな困難は感じていない。それには以下のような要因が考えられる。
総合的に考えると、現状では神経発達症の診断を受けることのメリットがデメリットを上回っていないのではないかという思いがあり迷っている。